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BEAR'S KISSで買ったアンティークくま、相棒のグーピー♪ 傍らで監督してます^^
  &今や欠かせない老眼鏡!!!




「何故ベアを作っているのですか?」
「きっかけは何ですか?」
「いつ頃からですか?」

よく聞かれるのがこんな感じの質問。


うーん・・・これを聞かれると困ってしまう。

簡単に言えることじゃないし、さりとてそんな素敵なエピソード満載でもない。
私は何でも割りとパパッと答えてしまうようなところがあって
返答した後・・ハテ?そうだったかな・・?と思ってしまうのがこの手の質問たちだ。

いつも違うような答えを言ってるような気もするし同じような気もする。



そしてよく考えてみた。




それはやっぱり私のあまり触れたくない過去にヒントがあったように思える。

小さい頃から両親は共働きで忙しい農家だった。
とにかく働き詰めの両親を見てきた。
私が実家にいた18年間、家族で観光(旅行)したという記憶は無いかもしれない。

母は仕事と家事に追われいつも憔悴しきっていた。
そんな母の手助けになればと小学生の低学年から私なりに家事(料理)の手伝い、
掃除の手伝いを進んでやっていた子供だったように思う。
疲れて帰ってきた母に褒められたい一心と
何より彼女の笑顔が見たくて私は毎日のように家事を手伝っていた。
ただありがとうの言葉が聞きたくて。

父は本当に働き者だった。
朝早くから夜遅くまで人の2倍3倍の仕事をしていたように思う。
当時よく言っていた言葉、
「人と同じことをやっていては財は成せない。」というようなことを常に言っていた。
小さな私は何故そこまでやるのか分からなかった。

お金がそんなに大事なのか?

いつもその事を子供ながら考えていたと思う。
もちろんお金が無ければ生活にも困窮するしひもじい思いをしたかもしれない。

だけどそんな「お金」に拘る父が嫌いだった。
お金をたくさん持つことの意味が未だによく理解出来ない。
稼いだお金で家を買ったり、土地を買ったり、
田畑を増やしたり・・

何故あんなにまで働らかねばならなかったのか・・・



私は友達と遊ぶことも多かったけど一人で遊ぶのも好きだった。
一人で遊ぶ私は妄想少女だった気がする。
だからどこへも行けることが出来たし、
絵本の中では登場人物に紛れ込むことも出来た。
あまり買ってもらえなかった本のたぐいは何度も何度も読み、
未だに5歳で読んだ絵本のことはよく覚えている。

やなせたかしさんの絵本がすきだった。

やなせさんの世界の住人にいつもなっていた。


絵を描くのも好きだった。
イメージしたことが形になる喜びを知った。
そしてその動物たちはやがて立体となることになる。

冬の農閑期、母はよく縫い物をしていた。
そのそばで怒られながらも(針が多く危ないので)
布のきれっぱしで何かを作っていた。
母と一緒の時間がきっと嬉しかったのだと思う。
「上手だね」という母の言葉が聞きたくて。
褒められたいという子供心が常にあった。
その言葉で母親からの愛情を確認していたのかもしれない。

そして小学5年生くらいの時に緑いろのカエルのマスコットを作った。
不確かではあるがそこが立体のものを作った原点かもしれない。


子供への愛情においては決して恵まれていなかったように思う。

愛の形がなんぞや・・それは人それぞれだと思う。

言葉を並べればいいとは思わないが言わなければ分からないことだってある。

現在父は脳梗塞で障害が残り失語症と右半身不随である。
哀しいかな、もう聞きたいことも聞けないし問い詰められないのだ。


私の場合制作衝動は「怒り」に似たような感情のような気がする。
そして子供の頃の孤独感と似ている。さみしさはいつも怒りへ変化していた。
その怒りが科学反応してエネルギーとなり
そして形のあるものへと変わっていく。

怒りは何とまあ!愛しきカタチとなるのだから
そんな自分も悪くないような気がしてならない。

足りないくらいがちょうどいい。
いつも憧れや悔しさや絶望などごちゃ混ぜの裁縫箱から
きっときっと夢見たようなあの頃の物語は続いている。






とりとめもなく書いてしまった。

長文にお付き合い下さりありがとう。






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