(Sat)

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人間というものは、生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ。
いわば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見すまして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げて来なければならないのだ。
死は知らんふりをしてそれを見やっている。人間は奪い取って来た生をたしなみながらしゃぶるけれども、ほどなくその生はまた尽きて行く。
そうするとまた死の目の色を見すまして、死のほうにぬすみ足で近寄って行く。
ある者は死があまり無頓着むとんじゃくそうに見えるので、つい気を許して少し大胆に高慢にふるまおうとする。と鬼一口だ。もうその人は地の上にはいない。
ある者は年とともにいくじがなくなって行って、死の姿がいよいよ恐ろしく目に映り始める。
そしてそれに近寄る冒険を躊躇ちゅうちょする。
そうすると死はやおら物憂ものうげな腰を上げて、そろそろとその人に近寄って来る。
ガラガラ蛇へびに見こまれた小鳥のように、その人は逃げも得しないですくんでしまう。
次の瞬間にその人はもう地の上にはいない。
人の生きて行く姿はそんなふうにも思いなされる。実にはかないともなんとも言いようがない。”



有島武郎 「生まれ出づる悩み」より抜粋



この小説は私の記憶が正しければ高校生の時に国語の教科書出てきたように思う。
その後この「生まれ出づる悩み」を始め有島武郎の小説は幾つか読んだと思う
20代前半だったと記憶する
若い頃だったせいか、鬱々とした表現や気難しさがどうも鼻につき小説と一体になれなかった
この頃私は貪るように本を読んでいた。
読みすぎてキャパ越え然り、読んだ本の内容をあまり覚えていない。
何を求めて読んでいたいたのだろう
お金が無かったので図書館で借りたり、神田神保町をウロウロして古本を買ったりしていた
当時古本は今のようにメジャーに開かれて販売されていなかった
古い本を買うのはその持ち主だった人に魂を抜かれているのではないか・・
古びた本はパサついて見えない他人の手垢が付いてるような気がした
(そんなことは無い、あるはずもなく 苦笑)稚拙な思考だけど何となくそう感じていたかもしれない

最初嫌な感じがしたけれど慣れてしまえばどってこと無かった。
出来れば真新しい新品がいいに決まってる今だってそう思う
触っていない真新しいものに「真」の生命が宿っている
見た目は何の変わりもないのに何故だかそんな風に思うのだ



今朝改めて有島武郎生まれ出づる悩みを再読した
しっくり来る、今なら・・・
おそらく数十年前は理解しがたかっただろう

有島は最後自殺して逝ってしまった
当時作家の自殺は多かったように思う・・・
芥川龍之介の自殺は何となく解る気がする
自己崩壊せざるを得なかった

内に内に突き進めば自己嫌悪と不甲斐無さにぶち当たる
外へ外へと突っ走れば首根っこを捉まえられて奈落の底に突き落とされる
未熟さと恥知らずを纏ってそれでも生きていく


”生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ”

と有島武郎は書いている。



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