(Sun)

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ほんの小さな鏡に自分の姿を映すだけで、人は感傷にひたることができる。
むしろ遠いくらいの距離をおいて、自分がずっと大切にしてきた何かを鏡の中に見るだけで、
人はセンチメントを得ることができる。
やわらかな午後の陽光に照らされて、
忘れていたものの残り香をかぐだけで、
人はノスタルジーにわが身をゆだねることができる。
それはあるとき、私をしっとりと慰撫してくれるだろう。
しかし、それは別のとき、暗くてよく見えないもの、どこかに息を殺して潜む何者かによって、
私たちの足元をすくうものになりうる。
なぜなら、感傷やセンチメントやノスタルジーが放つ、懐かしさの正体は、とりもなおさず自己愛だからである。
私は、自分が育った昭和30年代、40年代の風景や団地の匂いがとても懐かしいと感じる。
けれども、ほんとうに懐かしいのは、風景でも団地でも匂いでもない。
そのときの自分が懐かしいのである。
自己愛に陥ったとき、私は鏡の中の像を見てはいない。何も見ていない。
私は闇に潜むものに捉えられている。

フェルメールの問いは、実にそのような問いかけではないだろうか。



             「フェルメール光の王国」より抜粋 著者:福岡伸一



 
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